部会報創刊号 水化学―その来し方、行く末

水化学―その来し方、行く末

                 (社)日本アイソトープ協会  石榑 顕吉

  1. はじめに

 今年6月、これまで24年間に亘って活動を続けてきた日本原子力学会における水化学関連の研究専門委員会が発展的に解消し、新たに水化学部会が発足した。水化学研究専門委員会発足当初から、20年間その主査を務めてきた筆者にとって、誠に慶ばしいかぎりであり、ここまで水化学分野が発展を遂げた事を思うと感慨もひとしおである。この節目の時にあたり、わが国における水化学技術の過去を振り返り、将来を眺めて、その印象と期待を述べてみたい。

  1. 水化学技術の展開

 わが国において発電プラントの原子炉冷却系の水化学管理が注目されるようになったのは、1970年代である。この時期、世界的にBWRにおけるステンレス鋼配管の応力腐食割れ(SCC)、PWR蒸気発生器(SG)の腐食と作業従事者の放射線被曝増大の問題が発生し、内外の関係者が総力を挙げて問題解決に当たっていた。この状況の中で水化学管理の重要性が強く認識され、水化学管理の面から問題解決を目指す種々の方策も提案された。このように水化学はプラントのニーズにもとづくtrouble shootingの技術として出発したものである。

1980年代には水化学技術の高度化の時代を迎えた。数多くの技術選択肢が提案され、実プラントに適用されて有効な成果を上げるものが出現した。一方、実機適用された技術選択肢に対するプラントの挙動はBWR、 PWRの中でも必ずしも同じでないことが次第に明らかになり、プラント毎の特徴が顕在化するようになった。このような中で、BWR、PWRなどの炉型を越えて、運転経験を共有し、情報交換を行って学術的な視点からも検討を行う場の必要性が認識され、1982年10月、原子力学会の中に水化学研究専門委員会が設立され、その後上述の形で今日に至っている。

 1990年代に入ると、運転経験も次第に蓄積され、一つの技術選択肢はある目的には有効であっても、他の面で負の影響を及ぼす “副作用”をもつケースが多いことも明らかになり、最適化が求められることになった。プラントの設計、運転履歴や、特徴を考慮してプラントに最も適した技術を選択することが重要であり、プラント個別の判断が必要であることが分かってきた。

 2000年代には水化学を予防保全技術として確立することが求められている。問題解決型から出発したが、現状改善から更に進め、将来を予知・予測して起こりうるトラブルを未然に防止しようという高い目標が掲げられている。また、関係者の世代交代の時期を迎え、技術の体系化と次世代への継承を進める必要もある。更には、材料、燃料など他分野との連携、協力が今後益々重要であり、水化学以外の分野の関係者に対する説明責任(accountability)を果たしていくことも必要である。

 以上筆者の独断による水化学技術年代史の簡単な概要を述べた。技術選択肢を個別に述べることはしないが、全体を眺望すると技術の展開の中に興味深い特徴を見出すことができる。それはBWRとPWRで提案されている水化学技術選択肢が次第に相互に類似したものとなってきていることである。もともとBWRとPWRでは水化学管理は全く異なった考え方で設計されていた。例えばPWR一次系では薬剤を添加して冷却水を化学的に管理する設計となっているが、BWRでは本来冷却系には何も添加せず、不純物の存在が水の放射線分解や沸騰濃縮を加速する可能性があるので、“Purer is better.”が大原則であった。しかし最近ではO2やH2,Znなどを微量添加して制御する考え方に変わっている。H2注入はもともとPWRで行われていたがBWRに取り入れられ、Zn注入はBWRで開発・実施された技術がPWRに適用されている。

 BWRでは炉心で沸騰があるため、燃料棒表面にクラッド(crud)の付着が起こり易く、冷却系における放射能移行の主役であるクラッド挙動の把握が主要な課題であった。長年にわたりクラッド発生抑制と炉心への持込低減を図る種々の対策が実施されてきた。これに対して、PWRではpHの管理を通して金属イオンを制御することが主たる関心事であった。しかし最近PWRでも燃料棒表面でのサブクール沸騰などによりクラッド付着が促進され、付着クラッドがAOA(axial offset anomaly)の原因となったり、被覆管の健全性へ悪影響を及ぼす可能性が危惧され、クラッドの制御が重要な課題となっている。またPWRの2次系においてもSG伝熱管表面へのクラッドの長期にわたる付着が熱伝導の低下につながることから、クラッド挙動に関心が高まっている。これらの状況は、元来異なった発想から出発した水化学管理手法も、究極の形は大きく異なるものではなく、両サイドから理想の姿に近づきつつあるということかも知れない。

 水化学は発電プラントの運転と密接に係る技術であることは上記のとおりであるが、最近のわが国のプラント運転実績を見ると、極めて残念な状況にあると言わざるを得ない。

例として作業従事者の被曝線量をあげれば、先に述べたように1970年代において日本のプラントの被曝量は極めて高い状況にあり、特にBWRにおいてこの傾向が顕著であった。しかし1980年代に懸命に技術の改善が進められ、1990年代初頭にはBWRにおけるプラント当たりの年間平均被曝線量をピーク時の1/10近くまで低減することができた。当時これは世界的にもトップクラスの実績であり、国際的にも高く評価された。この実績は決して水化学技術のみによって達成されたものではないが、水化学技術の貢献は大なるものがあった。その後BWR、PWRともに被曝線量の漸増あるいは一進一退の状態が続いて2000年代に入ったが、最近の10年間を見るとわが国は著しい凋落を示す結果となっている。プラント当たりの年間平均被曝線量を低い順で国別に比較すると、2002年においてBWRは8ケ国中第8位(最下位)、PWRで24ケ国中20位、2004年ではPWRで最下位、BWRで最下位の次という惨憺たる状況である。これは、昔の被曝の高い水準に逆戻りした訳ではなく、日本がトップレベルの場に安住している間に海外プラントで低減の努力が進められ、アッという間に抜き去られてしまったということである。この被曝線量の数値は定検作業等の問題も密接に関連しており、単に数字だけを比較して一喜一憂すべきものではないが、何故このような状況に至ったかは研究に値すると思われる。筆者は、ある程度まで被曝低減が達成された段階で、現場や経営側に苦労をして更に被曝を引き下げる努力をするインセンティブを失わせる状況がわが国の制度の中に内在していたことが一つの原因ではないかと考えている。

  1. 今後の軽水炉技術と水化学

 わが国の既設軽水炉が現在かかえる主要な技術的課題は下記の3点に集約できる。

1)   高経年化対策

2)   燃料の高度利用

3)   プラントの出力向上

 現在わが国には、運転年数が30年を越すプラントが12基、25年以上30年未満のものが11基に及んでいる。これら高経年化プラントを更に長期にわたって、安全かつ信頼性高く運転を続けていくことは極めて重要であり、安全レビューの必要性など規制面での検討が行われている。材料の経年劣化を引き起こす事象の解明と予防が重要であり、その例として応力腐食割れ(SCC)や流動加速腐食(FAC)が挙げられている。

 ウラン資源を有効に利用し、使用済燃料の発生量を低減するために燃料の高燃焼度化は重要な課題である。高燃焼度化によって燃料には被覆管の腐食や水素取り込みなどの面で過大な負荷が加わることが予想され、被覆管の健全性確保が必要である。

 既設のプラントを大幅に改修することなく出力の向上(1~20%程度)を図ることは、資源の有効利用の観点からも魅力的である。これは新しい技術の進歩を取り入れることにより安全に実施できることであり、既に米国等で相当の実績がある。出力の向上に伴って中性子フラックスの増大、冷却水流量・流速の増大、冷却水温度の上昇などが予想され、これは燃料や材料に大きな負荷を課すことになる。

 水化学技術は既設軽水炉の主要な3課題を達成するために貢献するところが大であろうと考えている。燃料や材料にかかる負荷を低減し、その健全性を確保するために、既にある技術選択肢を一部修正あるいは組み合わせ、最適化して適用することによって対応が可能ではないかと思われる。しかしこの最適化のためには関連して生起すると予想される現象が正しく把握されることが必要であり、その意味で水化学技術基盤の強化が不可欠である。基盤強化は将来の改良型軽水炉、次世代軽水炉における水化学技術の果たすべき役割にもつながっていくものである。

 上記の課題達成とは異なるが、近年規制当局はプラントの検査のあり方を見直す検討を進めている。見直しの主要なポイントは従来全プラントに対して画一的に検査を実施してきたが、今後はプラントの状況、運転実績等に応じて、検査の実施内容を変え、定期検査の間隔を変えていくということにある。例えば運転の安全実績指標(Performance Indicator)などの指標を取り入れることも考えられている。一方、WANOは化学指標(Chemistry Index)をプラントの水化学管理の状況を表す指標として用いている。これに類似した指標をPIに取り込む可能性は検討に値する。規制の見直しの中にはプラントの状態監視保全技術の適用も挙げられており、CIはまさしく水化学の状態監視と繋がるものであるから、何とか説得力ある形でPIに直結できないであろうか。

 

4. 学会活動

 過去二十数年に及ぶ原子力学会における水化学関連の研究専門委員会がわが国全体の水化学分野の活動の中心となって来たことは論をまたない。4年毎の各期末に成果報告書を出版するばかりでなく、国際活動の中心となり、水化学国際会議の開催、日台、日韓2国間の水化学シンポジウムをベースとするアジア水化学シンポジウム開催における日本の主導的役割などは研究専門委員会で企画され、実行されてきた。技術の継承を念頭において、サマーセミナーの開催や原子炉水化学ハンドブックの上梓も行った。また水化学標準の作成を目指した水化学手引書の出版の準備が進められ、昨年は今後の技術の展開を眺望した水化学ロードマップの完成をみることができた。

 今回水化学部会の発足によって、従来われわれが目指してきた所は何ら変わるものではなく、水化学部会の発足時に申し上げたように、これまでの“水化学商店”が“株式会社水化学”に変わったようなものだと筆者は思っている。研究専門委員会においては全ての活動は幹事会において企画・検討・実行され、幹事会が活動の中枢であった。部会においては役割を担った小委員会あるいは担当が責任と作業を分担し、機能的、効率的に活動を進めることができる。ある程度の大きさに至った組織の運営としては此方が合理的であり、若い世代の運営面への参画も図り易いであろう。技術の継承と世代交代がこの分野の喫緊の課題であると考えており、新しい体制が新しい発展につながることを大いに期待するものである。