部会報第4号 水の話シリーズ(“水”あれこれ ・・・(3))

“水”あれこれ ・・・(3)
長尾 博之

いささか趣向を変えて、今号では、水と音(音楽)との関係について考えてみたいと思います。

1. “ゆらぎ”とは

誰でも“ゆらぎ”という言葉を、何処かで一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。水のたてる音も、ある“ゆらぎ”を持っており、特に、自然界の水の音、つまり、小川のせせらぎや波の音は、極めて特徴的な“ゆらぎ”を持っているようです。そこで、先ずは、“ゆらぎ”と言う言葉の内容から説明しなくてはいけないのですが、これが大変難しいのです。ここでは、筆者がとりあえず感覚的に理解している範囲の解説で我慢して下さい1)

例えば、“音”のように、連続的ではあっても一様ではない変化のことを“ゆらぎ”と言います。当然のことながら、“ゆらぎ”と言う現象は、音の中だけにあるものではなく、宇宙万物すべてに存在しており、逆に、宇宙万物すべてが、それぞれの持つ“ゆらぎ”によってバランスが保たれているのだそうです。人間の身体を例にとっても、心臓の鼓動、それに伴う血液の流れ、脳波などが常に変化し、そのゆらぎによって各々のバランスをとっているわけです。と言うことは、“ゆらぎ”の中にも、良いバランスに対応するものもあれば、好ましくないバランスに対応するものがあっても不思議ではありません。音楽を例にとると、グレゴリオ聖歌に始まって古典派の音楽の多くは、心を落ち着かせるゆらぎを持っていますが、ディスコの喧噪な音楽は、興奮させるゆらぎが大部分のようです。さらには、人を厭世的な気分にさせ、自殺にまで追いやるという怖しいゆらぎを持った音楽もあります。

2. “ゆらぎ”の種類

 当然、“ゆらぎ”にはどの様な種類があり、その各々はどの様な現象に対応しているのか、ということを知りたくなります。大きくなったり小さくなったり、或いは強くなったり弱くなったりする連続的な揺れ、つまり“ゆらぎ”に含まれる波動を、一つ一つ分離したものをフーリエ周波数と呼び、「f」という記号で表します。また、この個々の波動は、それぞれパワーを持っています。このゆらぎの持つ「f」と「パワー」の関係を詳細に分析してみると、ゆらぎの性質は、大きく3種類に分類できることが分かるそうです。つまりパワーが「1/f0」 に比例するゆらぎと、「1/f」 に比例するゆらぎ、および「1/f2」 に比例するゆらぎの3種類です。頭の中に、縦軸にパワーの対数、つまりデシベル(db)をとり、横軸に「f」の対数をとったグラフを思い描いて下さい。このグラフ上で、ある音のゆらぎの解析値をプロットした場合、そのプロットを結んだ直線が横軸と平行な直線(勾配0)になる場合と、45゜の右肩下がりの直線(勾配-1)になる場合、および、63゜強の右肩下がりの直線(勾配-2)になる場合の3種類に分けられるということです。これらはそれぞれ、「1/fゆらぎ」、「1/f ゆらぎ」 および「1/fゆらぎ」 と名付けられ、それぞれ独自の性質を持っており、私ども生命体の活動に大きく関わっています。

揺れがバラバラで破壊的な音は「1/fゆらぎ」 の性質を持っています。自然界で言えば、地震、山崩れ、突風に吹かれたときの大木のきしみなどです。音楽では、メロディー進行やリズムなどが激しく動き、聞き手を疲れさせてしまうような曲がこのゆらぎに属します。ロック系の曲の多くがその良い例です。脳に刺激を与えすぎて、脳神経を疲れさせてしまう音というわけです。反対に、あまりにもゆっくりしすぎていて、しかも非常に規則的なものは 「1/fゆらぎ」の特性を持っています。むしろ殆どゆらぎを持たない音と考えた方が理解しやすいかもしれません。例えば、眠気を誘う様な子守歌や、時計の秒針が刻む単調な音、機械的な電子音などがこのゆらぎを持っています。

この中間に位置するのが「1/f ゆらぎ」 で、このゆらぎこそが、現代人にとって今最も必要なものとされています。「1/f ゆらぎ」 を持つ音は、人間の情緒を安定させるだけではなく、結果として難病の治癒力を高めるとか、脳の創造力を高めるなどの働きがあるそうです。今流行の“ミュージック・ヒーリング”は、この点を最大限に活用する手法を体系化しようとしているもののようです1)。面白いことにナチのヒットラーの演説の記録を分析してみた結果、非常に激しい口調ながら、抑揚のゆらぎも声の強さのゆらぎも見事なほどの「1/f ゆらぎ」 特性を持っていることが分かったそうです。また、ケネディー大統領の演説にも同じことが言えるそうです。彼らは「1/f ゆらぎ」 を駆使して大衆の心を掴んだのです。

  1. 水の音のゆらぎは「1/f」

さて、話を水に戻します。自然界にある様々な音の中で、純粋に「1/fゆらぎ」 特性を持つ音は、川のせせらぎの音と海や湖の波の音だそうです。都会人は残念ながらこれらの水の音を聴く機会は殆ど持てなくなっていますが、別にナマの音でなくても良いわけです。何処か田舎に出かけた時に、録音してくれば良いわけです。録音でも、ゆらぎの特性には殆ど影響しませんので、これをバックに流しながらイッパイということにでもすれば、さぞかし心穏やかにして、翌日の活力が生まれることでしょう。

一方、「1/f ゆらぎ」の音は、人の精神的且つ肉体的健康に極めて良い影響を及ぼすことが分かってきてから、その効果を都会にも取り入れようと街のあちらこちらに親水空間がつくられるようになりました。人工の川を造ったり、滝の音を再現したり、噴水を造って涼しさを演出したり、といったものが多いようです。ところでこれらの水がすべて「1/f ゆらぎ」の音を出しているわけではありません。例えば滝の落ちる音は「1/fゆらぎ」に分類され、和ませる音というよりは、刺激の強い音になります。噴水が吹き上げる音も同様で、下に落ちて流れ出して初めて「1/f ゆらぎ」が生まれます。従って、水の流れが生ずるような設計がなされていない噴水からは「1/f ゆらぎ」の効果を期待することができないわけです。勿論、噴水は、涼しさを演出するという効果が大きいので、親水空間としての価値はかなりあるとは言えますが。

4) 水のゆらぎと音楽の拍子

さて、この「1/f ゆらぎ」と関係があるかどうかは実は、定かではないのですが、最近、水のイメージと音楽のリズムの間に、興味深い関係があることを知りました。それは、自然の水に結びつく用語をタイトルに冠した音楽や、またはこれが歌詞に含まれている歌曲は、何故か8分の6拍子(6/8拍子)で作曲されたものが多いというものです。この説は、例えば、昔なつかしの唱歌のいくつかを思い出していただくだけでも納得していただけると思います。

“あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ忍ばるる、・・・・、寄する波も貝の色も・・・”の歌詞でお馴染みの、林古渓作詞、成田為三作曲の「浜辺の歌」は、立派な6/8拍子です。この歌曲は、大正2年に作曲用試作として出されたようですが、戦後、中学校の歌唱教材として取り上げられ、誰一人として知らないもののない名曲となりました。アメリカのワーナーブラザーズ社からもレコードが出ているそうです。

旧制高校の寮歌の中で最も人気のある曲といえば、京都の三高の水上部、すなわちボート部の歌「琵琶湖周航の歌」でしょう。“われは湖(うみ)の子さすらいの、旅にしあればしみじみと、・・・”とくれば、じっとしていられなくなるオジさん族は大分減ってきた今日このごろですが、この曲も6/8拍子です。大正7年の夏琵琶湖を周遊した7人のボート部員の一人の小口太郎氏の作詞・作曲とされていますが、曲の方は既にあった作曲者未詳の「ひつじ草」という歌のメロディーにそっくりなことから、今では、作曲者未詳ということにされているようです。

“真白き富士の根、緑の江ノ島・・・”で始まる「七里ヶ浜の哀歌」も6/8拍子です。明治43年1月23日、逗子開成中学校の生徒たち12人が、学校のボートで三浦半島の田越を出発し、江ノ島をさして漕ぎ出したところ、七里ヶ浜の沖でボートが転覆し、全員死亡するという不祥事が起こりました。当時、鎌倉女学校の教諭であった三角錫子氏がその死を悼み、鎮魂曲として作詞し、その翌月、中学校で法要が営まれた時に、鎌倉女学校の生徒たちが斉唱したのが、この歌が歌われた初めだそうです。残念ながら、曲はアメリカ人のガードンという人の作曲になる別の歌のメロディーをとってきたものということです。

少し、統計的に調べてみたいと思います。たまたま手元にあった「日本の唱歌」上、中、下(昭和52年~57年版、講談社文庫)の3巻を調べてみました。これらに納められた唱歌(童謡、民謡、寮歌、軍歌なども含む)全484曲のうち、6/8拍子の曲は31曲しかありませんでした。つまり、唱歌に限っていえば、6/8拍子の曲は全体の6 %位しかないわけです(大部分が4/4拍子、次が2/4拍子です)。一方、川、海、湖、浜など、水の音やイメージを彷彿とさせるタイトルや歌詞をもった曲は、484曲中、23曲にしか過ぎませんが、その中で6/8拍子の曲が10曲も占めていました。つまり、水のイメージを持った曲の半数近く(43 %)が6/8拍子で書かれていたわけです。母集団が少ないとはいえ、この差は大きいです。十分に有意の差といえそうです。

これらの明治、大正、および昭和の初期に作られた曲は、元々、西洋音楽を手本としたものですので、当然、この説は西洋音楽にも当てはまるはずです。と言うよりも、この説は、もともと西洋音楽について言われだしたものと言った方が正しいでしょう。では、どの様な曲があるかと、周りの人に聞いてまわったところ、あるはあるは、いくらでも出てきました。

先ず、ハイネの詩にジルヘルが曲をつけた「ローレライ」、スメタナ作曲の交響詩組曲“わが祖国”の中の「モルダウ」、ドビッシーの小組曲の中の“小舟にて”、管弦組曲「海」、ワーグナーの楽劇“さまよえるオランダ人”の中の「嵐の海のテーマ」、同じく楽劇“ラインの黄金”の中の「ライン川のテーマ」、等々です。いずれも題名やテーマが水に関係があるとともに、6/8拍子の曲です。

何故、水のイメージが6/8拍子に結びつくのでしょうか。やはり、水の持つ「1/f ゆらぎ」に関連していると考えたくなります。多分、6/8拍子というリズムそのものが「1/fゆらぎ」を持っているのではないでしょうか。水にはまだまだ解明されていないことが多く残されているようです。何方かのご教示をお待ちしています。

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1) 渡辺茂夫:音楽は驚異の「聴くクスリ」、PHP S015(1997)