3. 水化学を取巻く環境の変化

_水化学ロードマップにおいては、従来、運転中プラントの水化学管理を中心に、材料・燃料の健全性維持、被ばく低減、新技術開発、人材育成、等の諸課題に対して、開発方針、開発スケジュールを提示し、ローリングを行ってきた。この基本的な取組み方針は今後とも変わることなく継続されるべきものである。
_一方、2011年の東日本大震災による1F事故の影響とそれに伴う原子力界全体の大きな変化を考慮することは不可避であり、環境の変化の要因として非常に高い重要度を持っている。

3.1 1F事故の社会的影響

_1F事故の影響について、社会的影響の観点からは、まず、新規制基準、軽水炉安全技術・人材ロードマップ、深層防護の3つの観点から検討することとした。さらに、1F廃炉推進のモチベーションの観点を加える。

(1) 新規制基準及び自主的安全性向上への取組み
_原子力規制委員会は、原子炉等の設計を審査するための新しい基準を作成し、その運用を開始した。いわゆる「新規制基準」は、1F事故の反省や国内外からの指摘を踏まえて策定されたものである。これにより、地震や津波等の大規模な自然災害や重大事故に対して十分な対策が取られるようになった。この新規制基準は原子力施設の設置や運転等の可否を判断するためのものであるが、これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できる訳ではない。すなわち、1F事故を契機として、原子力安全文化の醸成、自主的な安全性向上といった観点の重要性が指摘されている。これまで原子力安全の議論がともすれば狭義の安全評価の範疇にとどまっていたことに対して、これらの観点は全ての原子力に係わる活動において尊重されるべきものであることが示され、水化学の取り組みも例外ではない。

(2) 軽水炉安全技術・人材ロードマップへの対応
_このような状況下で、経済産業省 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員会の下に「自主的安全性向上・技術・人材ワーキンググループ」が設置され、日本原子力学会「安全対策高度化技術検討特別専門委員会」と連携して、「軽水炉安全技術・人材ロードマップ」の策定が行われた。このロードマップは技術開発と人材育成とを基本としており、8つの課題別区分が提示されるとともに、着実にローリングを行っていくことが示されている。今回の水化学ロードマップ改訂もこの趣旨に則るものとして位置付けられる。

(3) 深層防護の考え方の導入
_原子力学会標準として、昨今、BWR/PWRの水化学管理指針の制定を図っているが、この中では水化学として従来取り組んできたこと、また、今後取り組むべきことに対して、何が自主的な安全性向上につながっているかを再認識、再構築する議論を重ねた。その中では、「深層防護」の考え方も取り入れ、一つ一つの水化学技術の取り組みがどのような位置づけになるかの再定義を行っている。これらの活動は一過性であってはならず、常に最新の知見を取り入れつつPDCAサイクルを回すことにより、定常的な安全性向上の取り組みが求められる。

(4) 1F廃炉推進のモチベーションの維持
_1F事故の影響は甚大で測り知れないものがあるが、一方で技術的なチャレンジも多い。その中で、1F廃炉を確実に推進するという使命は非常に重いものがあり、それ故に原子力に係わる技術者にとっては大きなモチベーションとなっている面がある。すなわち、原子力産業の発展を支えてきた世代にとって廃炉推進のモチベーションは強く、これを次世代にいかに受け継いで行くかが大きな課題といえる。

3.2 1F事故の技術的影響

_ロードマップに示される水化学の取り組み姿勢は、従来から水化学の使命として位置づけられてきたものがある一方、1F事故を契機に新たに取り入れられたものもあり、大きな環境の変化と言うことができる。
_特に1F事故対応に関しては、いずれも新しい技術項目であり、1F廃炉推進、プラント再稼働、材料健全性の大きく3つの観点につき述べることとする。

(1) 1F廃炉推進
_まず、事故の収束に向けての対応として水化学及び原子炉化学に要求された事項としては、汚染滞留水処理、二次廃棄物処理、水素発生量評価(安全評価)が挙げられる。特に、汚染滞留水処理は事故発生直後からの喫緊の課題であり、これまでプラントの通常運転中には導入初期を除きほとんど経験することのなかった核分裂生成物(FP)放射能の除去技術の確立、適用が求められた。いわゆるFP化学は、1F事故以前の通常運転中のプラントではほとんど議論されてこなかったため、改めてその知識ベースの体系化、技術継承が必要とされている。
_また、この事に付随して発生する二次放射性廃棄物の処理(将来的には処分も含む)について、検討が必要とされている。これはバックエンド部会との境界領域であり、必ずしも水化学ではないが、上流側の廃棄物発生条件と処理方法とは密接に係わるため、高い関心を持って臨むべき事項と考える。
_さらに、廃棄物中の放射線分解による水素発生量評価やそれに及ぼす海水成分の影響評価の重要性は高い。また、今後のデブリ取り出し作業において、α線放出核種を含む水の放射線分解による水素発生量評価は、作業安全や作業環境の確保の上で必須要件となる。

(2) プラント再稼働対応
_次に、事故後のプラント再稼働に向けての対応としては、シビアアクシデント対策としての新しい水化学管理の導入に対して、十分な評価を行うことが大事である。具体的には、格納容器内水のpHアルカリ管理、フィルターベントシステムによる放射性ヨウ素放出抑制対策がある。これらのシステムはBWRではプラント再稼働の要件になっているが、ヨウ素化学の解明、確立は、世界的に見ても依然として今後の課題であると考える。

(3) 材料健全性確保
_材料健全性の確保に関しては、1F事故の特徴として津波による海水流入及び炉心冷却のための海水注入が挙げられる。すなわち、使用済み燃料プール中の燃料及び構成材料に対する海水成分の腐食影響評価、原子炉内/格納容器内への海水注入による構造材料の健全性評価は新たに直面した課題であり、教訓として認識しておくべき事例である。さらにこれらは放射線環境下での腐食挙動であり、不純物系における水の放射線分解挙動と相俟って検討されるべき課題といえる。

3.3 水化学を取巻く環境変化への対応

_このように、1F事故を契機に水化学を取巻く環境が大きく変化し、社会的影響と技術的影響を齎したことを受け、これらの変化への今後の対応として、意識改革と技術改革の2点が重要になると考え、以下に述べる。

(1) 意識改革
_上述の環境変化に対応するためには、従来の通常運転時の水化学の取り組みに加えて、シビアアクシデント時の対応まで範囲を拡げる必要がある。さらに、1F廃炉推進のための水化学の取り組みも重要な課題として位置付けられる。これらの取り組みに際しては、常に自主的な安全性向上の姿勢が求められ、ロードマップのローリングにおいても、PDCAサイクルを回し、現状の施策の必要十分性の確認、課題の抽出、解決策の適用、新知見の導入を図る必要がある。

(2) 技術改革
_これまでの水化学ロードマップで取り上げられてきた水化学技術につき維持、改善していくことは論を俟たないが、1F廃炉推進、プラント再稼働対応の観点では新規技術の開発、適用、評価を継続的に行う必要がある。これら新規技術については、常にロードマップにおいても課題として取り上げフォローしていく仕組みが必要となる。
_このように、今回の水化学ロードマップ改訂にあたって、水化学を取巻く環境の変化、及び、その対応につき、論点を述べた。1F事故を契機に大きな環境の変化が生じたことに対して、その事実と水化学の役割を真摯に受け止めるとともに、今後とも常に課題解決の意識を持って取り組む姿勢が求められる。

3.4 将来に向けての課題

_さらに、より包括的な環境変化への対応として、以下の諸課題が挙げられるものと考える。すなわち、1F事故対応、設備利用率向上、負荷追従対応、少子高齢化対応等の諸点である。

(1) 1F事故への対応
_今後の1F廃炉推進は長期間に及ぶため、汚染滞留水処理、二次廃棄物処理、等を今後とも継続的かつ着実に実施していく必要がある。また、プラント再稼働対応としては、シビアアクシデント対策としての格納容器内水のpHアルカリ管理、フィルターベントシステムの導入、等の運用管理を的確に行う必要がある。これらはいずれも1F事故への中長期的対応として重要な課題である。

(2) 設備利用率の向上
_国の最新のエネルギー基本計画[3-1]では、2030年に原子力発電の占める割合を20~22%としている。我が国の原子力発電所の1975年~2010年までの累計の設備利用率は71.8%であった[3-2]。しかしながら再稼働予定のプラント数の減少に鑑みると、上記目標を維持するには、自主的な安全性向上の取組等により軽水炉の設備利用率をさらに向上させることが必須と考える。
_これに対し、水化学による材料の防食対策を推進することにより人の安全と設備の安全性・信頼性向上を図ることができる。また、配管や機器の線量率を低く維持する被ばく低減対策を推進することにより定期検査期間の短縮を図ることができる。これらはいずれも設備利用率向上に繋がるため、水化学の関与する範囲は大きいと考える。

(3) 負荷追従運転への対応
_再生エネルギーの大量導入に伴い、海外ではすでに軽水炉も負荷追従運転の対象となる動きが出ている。この動向はやがて再稼働後の我が国でも対応すべき課題と考える。これまで原子力はベースロードとしての役割を担ってきたが、今後のエネルギー需給バランスに鑑み、原子力によるエネルギー供給には柔軟性を持たせる必要があろう。その際、過渡的な変化に対して水化学管理の側面から的確に対応できるよう検討を進めておく必要がある。

(4) 少子高齢化及び若手の原子力離れへの対応
_一方、我が国は少子高齢化問題に直面しており、次世代の若手人材への技術継承は喫緊の課題となっている。エネルギー政策の着実な推進のためには、次世代の人材にとって魅力ある技術テーマを創出し、優秀な人材を確保する必要がある。そのために水化学ロードマップの有効活用が強く望まれるものである。

参考文献

[3-1] 経済産業省資源エネルギー庁:長期エネルギー需給見通し, 平成27年7月, p.7 (2015).
[3-2] (独)原子力安全基盤機構企画部技術情報統括室編:原子力施設運転管理年報平成23年版(平成22年度実績), 平成23年10月, p.36 (2011).