材料から見た水化学
東北大学大学院工学研究科
附属エネルギー安全科学国際研究センター
客員教授 国谷治郎
- はじめに
BWRメーカーの研究所を定年退職後、原子力安全・保安院の高経年化対策強化基盤整備事業に関与させて頂き、現在に至るまで構造材料の応力腐食割れ研究一筋の研究生活を過ごして参りましたので、材料から見た水化学と言いましてもかなり限定的かつ取りとめのないお話になりますことを最初にお断りしご容赦いただきたい。
- 主役はどちら
BWR再循環系304鋼配管溶接部の粒界型応力腐食割れ防止技術の開発はご承知のように国を挙げての大命題であった。応力腐食割れは読んで字の如し応力と環境とそれに材料があって起こる現象であるので、防止技術の開発はそれぞれの要因を排除する方向でそれぞれの分野で進められた。材料の視点からは当然のこととして応力腐食割れを起こさない、あるいは耐性の高い耐応力腐食割れ材料の開発が進められた。304鋼に代わる材料を開発するということで代替材開発と云われた。
代替材料の開発と選定に当たって、材料屋が採用した環境条件はいわゆる加速環境である。材料には出来るだけ実機に使用されている部材と同等の条件を与え、応力と環境条件は出来るだけ加速させる。すなわち、このような実機では考えられない厳しい加速環境下においてもこのBという材料の応力腐食割れに対する耐性はAに比較して格段である、ということをもってB材料を開発したとした。この考え方は材料屋の視点で至極当然であると思われた。試験環境としての水質条件は水化学といった何かきめ細かな崇高さはなく、考えられる範囲で加速条件であれば良いとの認識であった。
やみくもに加速条件としての水質条件を決めたわけではなく、材料屋であってもその点は大切なところであるので、それなりの基礎実験を積み上げて条件決めをしていった、と言いたいところであるが、まずこの分野の研究において先行していたGE社が採用していた溶存酸素量を目一杯入れる条件を採用した、というのが実態であった。しかし、304鋼の粒界型応力腐食割れ感受性は溶存酸素量が大きくなるほど間違いなく大きくなったので、この選定は正しかったと思われる。
応力腐食割れ試験はご承知のようにオートクレーブの中に試験片を入れて高温高圧水を循環させながら応力を負荷させて行われる。当初は静置式オートクレーブといって循環ループを持たない単にオートクレーブのみの試験装置が用いられた。これでは、環境条件としての水質条件を試験中一定に保持することは出来ないことや、実機環境を模擬出来ないという理由で主流は循環式になった。水質条件として腐食電位、導電率、硫酸イオン濃度等々が厳しい制御項目となったのは材料研究の歴史から見ると最近のことである。
実験条件としての水質条件を加速させた環境下で開発された原子力用316鋼等が使用された炉心シュラウドや配管に応力腐食割れが発生したのは周知のことである。それでは、開発当時採用された実験条件で材料条件及び水質条件のどちらに問題があったのであろうか。その後の多くの研究によってそれは両者にあった、すなわち材料条件として冷間加工や強研削が考慮されていなかったこと、水質条件として隙間環境が考慮されていなかったことが実験室的には応力腐食割れが起きなかったのに実機で起きた主たる原因であることが明らかにされたわけである。
材料屋は、応力腐食割れにおける主役は材料であり水化学は脇役であると捉える傾向にあり、水化学屋はその逆の傾向があるのではないだろうか。(そう思うのは筆者だけかも知れない)応力腐食割れに対しては両者とも主役である、という思いは最近特に強く、両分野の研究者のコラボレーションは今後益々重要であると思う次第である。
- 研究の継続性について
水化学ロードマップの諸課題とその相互関係(平成20年6月2日)によると、構造材料の高信頼化の応力腐食割れ(SCC)の抑制の課題として以下が記載されている。 ・SCC機構の解明(酸化種・影響、酸化皮膜の影響、放射線照射の影響)・ラジオリシスモデル・その場計測技術・SCC環境緩和技術の開発・検証・標準化・照射試験設備の整備。いずれも重要な課題であるが、いずれも今に始まった課題ではなくもう30年以上も前から言われ続けている課題に思われる。材料にも同じことが言えて箇条書きされる重要課題は30年前と変わらないように見える。基本となるところの大命題は変わらないが、その中身は新しい知見が積み上げられ、らせん階段の如く変わって来ているはずである。すなわち、研究の継続性が大変重要であると思われる。
筆者が現在携わっている原子力安全・保安院の高経年化対策強化基盤整備事業においても応力腐食割れは最重要課題の一つであり、水化学の視点からの研究も鋭意行われている。問題提起の捉え方について一言。平成19年度の成果報告に使われた資料から引用させて頂くと以下のようである。(少し長くて恐縮)
「近年の応力腐食割れに関する新たな知見によると、実機において応力腐食割れの発生進展に影響を与えていると考えられる要因で、まだ十分な検討が進んでいないために、現在の応力腐食割れ評価には取り入れられていない因子がある。たとえば、放射線分解水質や照射速度などの因子が応力腐食割れ挙動に与える影響は、従来ほとんど研究が行われていない。一方、高経年化対応ロードマップおよび水化学ロードマップの見直しまたは策定が行われている。そこにおいては、上記の現在の応力腐食割れ評価に取り入れられていない重要因子とその検討の必要性が明確に示されている。従って、放射線分解水質および照射速度が応力腐食割れ挙動に与える影響について評価することが必要である。」という主旨が述べられている。放射線分解水質がSCC挙動に与える影響は従来ほとんど研究が行われていない、ということはなくて、材料屋から見ると過去において系統的な研究が行われ、その成果は過酸化水素、ガンマ線の影響も含めてCorrosion J’l、NACE (1997)に報告1),2)されていると認識している。過酸化水素の影響に関してもいくつかの論文3),4)がある。研究の継続性を考慮し、それらの結果を踏まえた研究が展開されることを期待したい。
- 応力腐食割れ機構解明のためのロードマップ策定の必要性
科学的合理性を持って現象を説明することが強く求められている。このための唯一の近道はやはり機構の解明であると思う。水化学ロードマップにおいて構造材料の高信頼化の応力腐食割れの抑制の課題としてまず応力腐食割れ機構の解明が謳われており、また高経年化対応技術戦略マップ2008においても応力腐食割れ機構解明は重要課題と位置付けられている。機構解明のために必要な研究内容とその年度展開を明確にしていくこと、すなわち応力腐食割れ機構基盤研究ロードマップを材料屋及び水化学屋が協調して策定していくことが肝要と考える。
庄子5)は、応力腐食割れ機構解明に向けた基盤研究ロードマップを策定することが焦眉の急であることを指摘し、固相酸化機構を柱とした研究計画を策定することを提案した。BWR環境中で起こる構造材料の応力腐食割れ機構に関してはいくつかのモデルが提案されているが、最近はすべり酸化、固相酸化といった酸化モデルが主流で金属が溶解するとしたすべり溶解モデルは分が悪い、というかもう認められていないようでさえある。固相酸化機構は酸化皮膜自体の劣化を考えるもので、酸化皮膜が割れることを必要としないモデルである。
研究の進め方として一つのモデルを持ってそれを実証する実験観察を行っていく方法とまず実験観察を行ってからモデルを導くのと両方の仕方があるが、前者の進め方が最終ゴールへの近道と思われる。すなわち、実験観察の結果そのモデルが違った場合はそれを踏まえてモデルを修正しまた実験観察する、という進め方が結果的に効率的と思われる。現在いくつかの機構モデルが提案されているが、まず固相酸化機構を柱として応力腐食割れ機構解明のための基盤研究ロードマップを材料屋及び水化学屋が協調して策定していくことが今必要なことではないかと思う次第である。
材料には低炭素系オーステナイトステンレス鋼、ニッケル基合金、炭素鋼、低合金鋼があり、割れ形態には粒界型応力腐食割れ、粒内型応力腐食割れがあり、慣用的な応力腐食割れ呼称としてIGSCC、IASCC、NiSCC、PWSCC、TGSCCがある。それに水化学としてBWR、PWRがあり、BWRにはHWCもある。それぞれに機構があるのか統一的な機構があるのか。美的感覚からすると統一的機構の存在を期待したい。
- おわりに
本部会報に執筆の機会を与えて下さった日立GEニュークリアエナジー(株)日立事業所原子力サービス部 布施元正様に感謝いたします。
参考文献
1) E. Kikuchi, et al : Corrosion, Vol.53, No.4, 306(1997)
2) N. Saito, et al : Corrosion, Vol.53, No.7, 537(1997)
3) K. NAKATA, et al : Proc. 5th Int. Symp. on Environmental Degradation of Materials in Nuclear Power System - Water Reactor, p.995(1992)
4) H. ANZAI, et al : Corrosion Science, Vol. 36, No.7, pp. 1201-1211(1994)
5) T. Shoji : Research Activities of Stress Corrosion Cracking Session, ISaG2008 The University of Tokyo, Tokyo, Japan, 7.24-25, 2008