水化学部会への期待
東北大学 渡辺 豊
私は機械工学科出身の研究者で、初期には耐熱鋼の高温劣化とその非破壊評価をテーマとし、その後、高温水中での合金の腐食と応力腐食割れに研究テーマの重心を移して現在に至っています。金属と環境の界面での現象が材料信頼性に与える影響に興味を置いた研究で、あくまでも材料側の視点から、界面劣化現象の評価の条件として「水」を見てきたと言えます。水化学が関係する技術領域のごく一部しかまだ見えていない立場からの文章であることをお許し頂きたく存じます。
原子力発電黎明期の先輩方のご苦闘を今の時代から振り返ってみますと、機械屋は、高純度の「水」を少し甘く見ていた感があります。米国機械学会の維持基準における圧力容器鋼の疲労き裂進展速度線図には、当初、環境効果が考慮されていなかったこと(水環境による加速効果が初めて導入されたのは1974年)、あるいは、微量酸素を含む高温純水中で鋭敏化ステンレス鋼が応力腐食割れを起こすことが想定されていなかったことなどは、今の学生諸君には意外にさえ思えるかもしれません。かく言う私も出は機械で、純水(ハングリー・ウォーター)の威力を実感するのは、30代も半ばになってからでした。当時、超臨界水中での腐食と割れの実験で、圧力操作により密度(つまりは水の物性)を変化させたときの「水」の環境効果の豹変振りに唖然とした憶えがあります。軽水炉の水化学管理が如何に高度にきめ細かく行われているかを知ったのはさらに最近になります。冷却(熱搬送)、中性子減速などの水の基本的役割に留まらず、被ばく線量低減、燃料の高燃焼度化、構造材料の経年劣化抑制において水化学がキーになっていることを一つ一つ具体的に知るに従い、重要性を改めて認識しております。今後期待される原子力発電技術の国外展開においても、水化学技術が競争力の最重要因子の一つになるように思います。原子力は、プラント製造だけではなく、運転にこそ技術力の差が現れるものと思うからです。
現在、材料研究者の視点からは、「皮膜とSCC感受性」、「SCCにおける水素の役割」、「高温水SCC試験におけるECP計測方法の標準化」、「炉内ECP」などが、水化学に関連するテーマとして強い関心を集めています。材料の経年劣化現象を解明する上でとくに重要なことは、劣化が実際に起こる地点その局所での現象解析です。例えば、炉内のすき間環境(構造上の幾何学的すき間あるいはき裂先端)で、極めて限定されたボリュームの水が放射線分解する場合やあるいはそれに沸騰濃縮も加わった場合の局所環境条件の評価などです。他方、ステンレス鋼におけるSCCの真の起点は酸化物系介在物の機械的割れあるいは母地金属との剥離であるとの観察結果が報告されており、もしそれが正しいとすれば、SCC発生を司る環境側の条件は、表面に形成されたミクロン・オーダーのすき間の底での局所水化学であると考えることができます。いずれにしても材料と水の接点にある課題は、材料側と水側の研究者の連携した取り組みによってのみ解決するものと考えます。産学の連携はもちろん、分野や学協会の枠も超えて、異なったバックグラウンドを持つ専門家間の議論を通して、課題のブレイクダウンと研究ターゲットの設定を行うことが有効でしょう。原子力学会の材料部会、燃料部会との連携強化や腐食防食協会原子力小委員会との交流など、取り組みが進んでいるところと思います。
ところで、原子力発電設備は、物量から言えば、主に鉄とコンクリートと水により構成されていますが、構造物側(材料・構造側の技術)の勝負所は、補修や追加保全を除けば、設計・製造の段階で相当程度完了しています。一方、水化学技術は運転期間にわたってずっと続く技術です。運転中のプラント内には常に所定の量の水が存在しますが、これらは役目を果たしながら循環し、常時浄化されあるいは水質調整され、また炉内に戻っていきます。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、同じ水にあらず。」
これは方丈記の一節ですが、発電プラントにおける水の役割をも言い表しているように思えます。水化学部会の活動に強く期待し、機械・材料分野出身者としての特徴を出しながら僅かでも役に立ちたいと考えております。