5. 水化学ロードマップ2020

_軽水炉の安全性・信頼性にかかわる重要課題の多くは、高温・高放射線環境下で構造材料あるいは燃料と、冷却材・減速材として用いられている水の境界領域で発生している。水化学は、各種構造材料と燃料が水を介して相互に影響を及ぼすプラントシステムを包括的に捉え、多様な課題や目標に対し、調和的な解決あるいは実現を目指す工学分野である。水化学は、これまで構造材料及び燃料健全性の維持・向上、被ばく線源低減、ならびに放射性廃棄物の低減等において重要な役割を果たしてきた。水化学は、接液する全ての構造材料に影響を及ぼすと同時に、その影響も受けるため、構造材料、燃料との三者間でトレードオフが問題となることが多い。諸課題への貢献に際しては、特定の課題にのみ偏ることなく、プラント全体を俯瞰した最適な制御が求められる。

_水化学ロードマップでは、「水化学による原子力発電プラントの安全性及び信頼性維持への貢献」を目標に、以下の達成を目指す。

○ 構造材料の高信頼化
・応力腐食割れ(SCC)の抑制
・配管減肉環境の緩和
・PWR蒸気発生器長期信頼性の確保
・状態基準保全の支援
○ 燃料の高信頼化
・被覆管・部材の腐食/水素吸収の対策
・燃料性能の維持(CIPS対策)
○ 被ばく線源の低減
○ 環境負荷の低減
○ 共通基盤技術の整備
・水化学、腐食に係わる共通基盤技術の整備
・核分裂生成物挙動に関する共通基盤技術の整備
・人・情報の整備
○ 事故時対応の水化学の検討
・事故時に水化学が関与する事象への対策
・事故炉の廃炉推進に向けた水化学による対応

_水化学ロードマップ2020では、水化学ロードマップ2009における「安全基盤研究」と「基盤整備」に加えて、1F事故を教訓とするため、新たに「事故時対応の水化学」と「福島廃炉推進対応の水化学」に係わる課題を抽出し、長期に亘る廃炉作業の安全かつ円滑な遂行に必要な項目を盛り込むことに留意した。加えて、深層防護の基本的な理念を取り入れ、抽出された課題について深層防護との関連性を明確にした。抽出した各々の課題について、最新の技術動向を踏まえて、技術戦略マップ(導入シナリオ、技術マップ、ロードマップ)の見直しあるいは新規作成を行った。
_水化学ロードマップ2020で抽出された個別課題を、図5に示す。次章以降で、各個別課題について詳述するが、本章では要約として、研究方針と課題項目をまとめて示す。

① 構造材料の高信頼化(6.1節)

①-A 応力腐食割れ(SCC)の抑制(6.1.1項)
_SCC環境緩和はプラントの安全性確保・公益性向上に大きく貢献できるポテンシャルを有しているが、その有効性が広く認知されるに至っておらず、プラント維持管理(点検・補修・取替)とのリンクも不十分である。日本機械学会が制定した「発電用原子力設備規格 維持規格」には、環境緩和の効果を取り入れたSCC進展線図が示されているが、実プラントではこれに基づく維持管理の合理化には至っておらず、早期にその実現を図ることが必要である。特に、予防保全としてのSCC環境緩和の効果を考慮した設備の点検・補修・取替の方法を、関連分野との協力の下、ガイドラインとして整備する必要がある。また、今後、新検査制度における保全活動、あるいは、評価指標としての活用の観点からも、SCC環境緩和の検討を深めていく必要がある。そのため、以下に示す技術の開発や高度化、ならびに、検証と標準化が必要と考えられる。
・SCC環境計測手法・評価手法の高度化・検証・標準化
・SCC環境緩和技術の開発・高度化
・SCC発生進展に及ぼす環境因子の影響に関するデータ整備・高精度化
・データや評価技術の検証、規制基準の整備
・SCCメカニズム解明

①-B 配管減肉環境緩和(6.1.2項)
_配管減肉管理は、日本機械学会が制定した「発電用原子力設備規格 加圧水型/沸騰水型原子力発電所 配管減肉管理に関する技術規格」に基づいて実施されており、この技術規格により体系化して整理されたため、それ以前の管理と比べて、飛躍的に安全性が向上した。但し、現在の減肉管理は、肉厚測定結果の実績から、十分に裕度を持って設定された減肉速度に基づいて行われているため、新たな環境緩和技術を適用して減肉が抑制されても、肉厚測定結果が蓄積しないと減肉管理に反映できない体系となっている。今後、安全性の更なる追求と合理性の調和を達成するために、以下の技術開発を進めていく。
・配管減肉防止技術・環境緩和技術の開発・標準化
・配管減肉予測評価手法の構築・標準化
・規格・基準の整備

①-C PWR蒸気発生器長期信頼性確保(1.3項)
_国内PWRでは、蒸気発生器(SG)伝熱管材料として、より耐食性の高いTT600、TT690合金を採用した新型蒸気発生器(SG)に取替えるとともに、種々の水質改善対策が適用された結果、SG二次側の信頼性にかかわる腐食損傷は顕在化していない。しかし、水質の高度化が図られた結果、不純物の持ち込みに対する緩衝作用が小さくなり、クレビス環境が大きく酸あるいはアルカリ側に偏った環境下で腐食電位が上昇した場合は、粒界割れ(IGA)発生感受性を有している。また、二次系系統で材料のFAC等の腐食によって発生した鉄がSGへ持ち込まれ、構造物に付着して、伝熱抵抗、流動抵抗となり機器の性能劣化現象が顕在化するとともに、クレビス部にスケールが蓄積することで損傷発生リスクが増大している。そこで、SGの長期信頼性及びプラント安定運転を確保していくため、以下に示す技術の高度化あるいは新技術の開発に継続的に取り組んでいく。
・メカニズムの解明(SG伝熱管腐食、スケール付着)
・SGクレビスの環境評価、酸性環境緩和、濃縮環境緩和に関する技術開発
・SGへの鉄持込み抑制、スケール付着影響緩和・抑制評価、除去・改質に関する技術開発
・新技術の開発、適用性評価、導入(代替ヒドラジン、スケール分散剤)

①-D 状態基準保全の支援(6.1.4項)

_SCCやFAC等の経年劣化事象について、材料・応力・環境面から多面的に計測・評価可能なモニタリング技術を開発・適用することで、長期にわたる経年劣化の予測評価精度の向上や状態基準保全の充実が期待される。経年劣化予測や状態基準保全は、設備の信頼性向上による事故発生リスクの低減、一次冷却材の異常兆候の早期検出によるプラント運転管理への判断材料の提供につながるため、事故発生防止及び拡大防止に貢献することができる。そこで、状態基準保全への支援として、以下の課題に取り組む。
・環境モニタリング技術の高度化
・実機材劣化評価手法の高度化
・状態基準保全手法の高度化

② 燃料の高信頼化(6.2節)

②-A 被覆管・部材の腐食/水素吸収対策(6.2.1項)
_1F事故を契機に、核燃料分野において、FP放出低減/温度上昇抑制ペレットの開発と通常時材料劣化低減被覆管の開発が加速されるとともに、事故時高温酸化劣化抑制部材や事故耐性燃料の開発が求められるようになった。改良型燃料の導入に際しては、被覆管や部材の材質変更に及ぼす水化学の影響を事前に評価しておく必要がある。また、新たな水化学技術の導入に際しても、現行燃料の被覆管や部材の腐食対策及び水素吸収特性に及ぼす水化学の影響の有無を事前に評価しておく必要がある。しかし、ジルコニウム合金のブレーカウェイ現象の原因や水素吸収機構について、影響因子の定量的影響や重畳効果は判っておらず、理解の統一に至っていない。そこで、以下の課題に取り組んでいく。
・被覆管・部材の腐食/水素吸収メカニズムの解明
・被覆管・部材の腐食/水素吸収対策技術の開発
・データや評価技術の検証
・被覆管・部材の健全性評価に係わる規格基準の策定

②-B 燃料性能維持(CIPS対策)(6.2.2項)
_CIPSは、クラッドが燃料の軸方向に不均一に付着し、ホウ素の不均一析出により、炉心の軸方向の線出力分布(偏差)に異常を生じる事象であり、事象の進行によって、炉心の安全性や燃料の健全性に問題を生じる可能性がある。CIPSの発生は、クラッド付着・剥離と密接に関連しているが、クラッド付着・剥離のメカニズムに化学因子や熱水力因子が複雑に関与すること、さらに、原子沪水中のホウ素取り込み機構の影響も受けることから、全体のメカニズムは明確になっていない。そこで、以下の課題に取り組んでいく。
・CIPS発生メカニズムの解明
・CIPS対策技術の開発
・データや評価技術の検証
・CIPSに係わる規格基準の策定

③ 被ばく線源低減(6.3節)
_我が国の原子力発電プラント1基当たりの年間平均線量(以下、「平均線量」という)は90年代後半以降、諸外国と比較して高く推移しており、この原因は1サイクルあたりの運転期間の違いによる年間作業量の違いによるとの指摘があった。しかしながら、米国やスウェーデンでは近年も着実に減少傾向にあることから、単純に年間作業量の違いのみとは言い切れず、我が国の被ばくの現状を詳細に分析し、さらに被ばく低減を進める必要がある。
_また我が国の原子力発電プラントでは震災後に長期停止を余儀なくされているが、長期停止による線源核種の減衰と作業量の減少に伴い、平均線量は震災以前より大幅に低減しているが、再稼働後の平均線量がどのように推移するか注目されるところである。再稼働後も現状の線量を維持するためには、既存技術の着実な適用のみならず、新規の水化学技術の開発・適用が望まれる。
_冷却材中のクラッド挙動については、従来から、日本も含め各国で検討がなされており、実機クラッド分析、水質調査結果を元に、水化学という視点から被ばく線源強度低減を目的に冷却材への低濃度亜鉛注入等、種々の被ばく低減対策が実施されている。これら水化学改善策の適用効果の評価には、現在、被ばく線源挙動メカニズムに基づくモデルを用いて評価しているが、新規の水化学対策を適用した場合の評価精度が低下する等の問題があり、メカニズム解明についてもさらに検討が必要な状況にある。そこで、以下の課題について、技術開発とメカニズム解明を並行して進めていく。
・既存線源低減技術高度化(高Li運用、濃縮10B運用、除染法、亜鉛注入等)
・革新的線源低減技術開発(被ばく線源生成メカニズム解明に基づく革新的技術の開発)

④ 環境負荷低減(6.4節)
_原子力発電プラントでは、材料・燃料の信頼性・健全性の維持確保や業務従事者の被ばく低減等を目的とした水化学制御を運用していくなかで、副次的に放射性廃棄物(使用済樹脂、フィルタ等)や制御用薬品を含む排水等が発生してくる。今後、長期サイクル運用や出力向上運転等プラント高度化と新たな水化学制御の適用に鑑み、水化学技術改善と両立させた廃棄物/排水処理の最適運用を目指し、環境負荷の少ない発電プラントとして環境への影響を低減することが重要である。そこで、以下の課題について、改善策を立案し、実機適用実績を踏まえたPDCAサイクルを確立する。
・浄化脱塩塔、フィルタの運用最適化(高交換容量、耐酸化性イオン交換樹脂の開発等)
・環境への放出低減(ヒドラジンの使用量低減・代替材適用、二次側化学洗浄廃液の処理)

⑤ 共通基盤技術(7章)

⑤-A 水化学、腐食に係わる共通基盤技術(7.1.1項)
_水化学研究には、構造材料、燃料の健全性及び線源強度低減等様々な目的・対象があるが、個々の研究を進めるうえで、基礎実験での現象把握、モデル化及び実機との比較に共通して必要となる基盤技術として、以下の4項目の課題に取り組む。
・腐食環境評価技術(プラント冷却系全体及び局所的な腐食環境の定量化)
・腐食メカニズム(腐食・溶出・酸化物形成のメカニズム、放射線照射の直接・間接効果)
・酸化物・イオン種の付着脱離メカニズム
・実験技術(実機条件の模擬、複数の腐食挙動影響因子の再現、加速実験法)

⑤-B 核分裂生成物挙動に関する共通基盤技術(7.1.2項)
_事故時対応の水化学では、一次冷却水中の放射性腐食生成物や燃料被覆管によって閉じ込められた放射性核分裂生成物が主であった従来の水化学と異なり、事故時に燃料体から直接放出される放射性核分裂生成物を取扱うため、その化学的挙動が重要となる。放射性核分裂生成物挙動に係わる研究は、燃料損傷とそれに伴う環境への放出に関連して、非常に活発に行われてきたが、燃料破損対策の確立とその有効性の確認、シビアアクシデント研究の収束の2 段階で縮小された。しかし、1F事故に関する調査委員会でも、ソースタームの評価の重要性と放射性核分裂生成物挙動に係わる研究、技術者の育成の重要性が指摘されている。そのため、FP 化学に取り組める体制作りとそれをバックアップできる組織作りを行い、系統的、組織的な対応を目指している。具体的な開発項目は以下の通り。
・事故時のFP 挙動の解明[一般的なFP に係わる基礎事象]
・1F事故時のFP 挙動の実態解明[事故時に見られた事象]
・事故時FP 挙動解析コードの整備と標準化
・アクシデントマネジメントへの対応

⑤-C 人・情報の整備(7.2節)
_今後のプラント運用高度化、燃料高度化及び高経年化対応水化学の適用に際し、事前に事象を予測し対策を立案しておくプロアクティブな水化学技術の展開が必要であり、これまでの蓄積を基礎に、水化学分野の技術情報基盤を整備していくことが重要である。また、プラントの運用管理に、透明性・説明性が要求される環境となってきており、水化学技術を体系化し、規格・基準化、標準化を進める必要がある。一方、新規プラント建設の減少により、水化学の研究開発及び管理を担う人材の供給が減少し、高齢化が進行している。研究の場も狭まっており、研究コミュニティの維持が危ぶまれるほどである。原子力発電の持続的発展を支えるためには、水化学分野における裾野拡大を含む人材の確保は緊急の課題と言える。そこで、以下の4項目の課題に取り組む。
・研究基盤の確保
・技術情報基盤の整備と技術伝承
・水化学関連の規格・基準化、標準化
・国際協力の推進

⑥ 事故時対応の水化学(8章)

⑥-A 事故時に水化学が関与する事象とその対策(8.1節)
_大型の商用原子炉の過去の事故の教訓に則り、TMI-2、チェルノブイリ及び1F事故の知見に基づき、事故時の化学挙動を整理して、対応を明確にする必要がある。水化学が関与する事故時対策として導入されている既存の対策設備は、既に世界の他のプラント等で導入実績のあるもので、現在の事故シナリオとリスク評価の観点から直ちに新たな研究開発が必要となる事項はないと考えられる。しかしながら、シビアアクシデント(SA) 時の事故シナリオや共通基盤技術の進歩に基づき解析モデルや解析コードが高度化されることにより、従来と異なる結果が得られた場合には、既存の対策設備の妥当性を再評価し、必要に応じて対策設備の見直し・高度化を図っていく必要がある。具体的な開発項目は以下の通り。
・水素蓄積防止技術の最適化・高度化
・FP 挙動の解明と解析コードの高度化
・pH 制御技術の開発・高度化
・フィルターベントシステムの開発・高度化
・SA 対策設備の保守・管理方法の確立

⑥-B 事故炉の廃炉推進対応の水化学(8.2節)
_1F事故後の廃炉推進に向けて取り組むべき水化学について、喫緊の課題としては汚染滞留水処理が挙げられる。これまで対処することのなかったFP核種を中心とした水処理施策の確立は新しい課題である。それに伴い、多量の二次廃棄物が発生しており、その処理・処分技術の開発に向けては長期的な取り組みが必要である。さらに、燃料デブリ取り出しの段階になると、燃料デブリ性状に基づいたFP挙動の把握、水処理が必要になると考えられる。
_これらの対応と並行して、高放射能濃度での汚染水、廃棄物中での水の放射線分解による水素発生は、今後のシステム検討の安全評価項目として重要であり、モデル化を含めて取り組むべき課題である。さらには、長期間にわたるシステム健全性の確保に向けた材料腐食対策も取り上げることとする。また、今後の燃料デブリ取出しを始めとする廃炉作業の推進にあたっては、作業従事者の被ばく低減対策の確立が望まれる。具体的な開発項目は、それぞれ以下の通り。
・汚染水処理対策と二次廃棄物処理(放射能除去メディアの開発・モデル化、二次廃棄物処理における水化学のアプローチ)
・燃料デブリ取出し時水処理対策(取出し時の水質環境評価、水処理システムの構築)
・水素発生量評価(ラジオリシスによる水素発生挙動の評価、不純物存在下での評価)
・材料健全性評価(海水注入時の材料健全性評価、長期的な材料健全性評価)
・被ばく低減対策(核種移行挙動解析、実機データによるベンチマーク評価、被ばく線量評価)