8. 事故時対応の水化学

_本章の事故時対応の水化学では、従来の水化学とは異なり、事故時に発生する放射性核分裂生成物(FP)への対応が主となる。事故時対応の水化学の基礎基盤技術となるFPの挙動については7.1.2節に記載しているが、それ以外の第7章までは、放射性核種としては放射性腐食生成物が主であり、水の放射線分解における放射線源も燃料被覆管によって閉じ込められたFP、燃料体からの中性子とγ線が主であったが、事故時対応の水化学では、燃料体から放出されたFPを取扱い、その化学的挙動が重要となるため、本章では、事故時対応の水化学の主要課題の変遷と、水化学が関与する事故時の対策、及び事故炉の廃炉を推進する上で必要な水化学について議論する。

(1) 事故時対応の水化学主要課題の変遷
_過去 35 年余の原子力プラントの水化学制御及び水化学にかかわる燃料、構造材の主な改善の変遷とその成果を図8-1 に示す。
_水化学制御は、プラントの安全性、信頼性の確保、向上に密接にかかわるが、多くの場合、唯一の方策ではなく、プラントのシステム、構成材料、運転履歴に応じて、適切に選択され、採用されるべきものである。安全性、信頼性に、経済性の視点も加えた大きな視点での選択が重要であり、対象とする課題にのみ偏ることなく、プラント全体の視点での、水化学制御の功罪を十分に評価し、最適な制御法を選定することが重要である。このためには、水化学の技術者、研究者には、プラントシステム、ハードウエア、そしてプラントの運用に関する幅広い知識が必要とされる。
_一方で主要課題を見ると、我が国の商用原子炉で見られた燃料損傷の問題は、燃料の改良改善の成果が著しく、1980年代に入ると急速に収束し、燃料破損に伴うFPの環境への放出あるいは発電所内での処理の課題は、縮小した。一方、1979 年の スリーマイルアイランド原子力発電所2号機(TMI-2)の事故、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故により従来の仮想事故を想定した対応だけでは十分ではなく、深層防護レベル4に対応するシビアアクシデント(SA)への対応が要求されるようになり、欧州では仏国カダラッシュ研究所の Phébus FP プロジェクトで、実際の燃料を溶融させ、FP の放出移行挙動を把握する実験が行われ、事故時の主として水素の爆燃、爆轟の研究及び放射性ヨウ素の照射下での挙動研究が精力的に行われた。SAの対策としては、水素濃度が比較的希薄なうちに局所的に水素を燃焼させ、重大な水素燃焼を抑制するための点火器(イグナイター)の設置が行われた。また、欧州ではSAに備えた FP 除去のためのフィルタベントの設置が普及した。しかし、2000年に入るとSA対策としては、電源の確保が最重要であるとの認識が強くなり、SAに関する研究予算が削減され、Phébus FP プロジェクト研究も 2005年に終了し、現在に至っている。

_FP挙動に係わる研究は、燃料損傷とそれに伴う環境への放出に関連して、非常に活発に行われてきたが、燃料破損対策の確立とその有効性の確認、SA研究の収束の2段階で縮小された。このように重要なFP挙動に係わる水化学は、原子力学会に水化学関連の研究専門委員会が設立された1982年以降、残念ながら単調に減少を続けているのが実状である。
_「福島第一原子力発電所事故に関する調査委員会」での調査活動において、事故時のソースタームの評価に、従来の評価ベースでは説明できない事象が散見されることが示された。一方で、1990年代後半以降、ソースターム関連の研究が衰退し、その技術を支えてきた研究者、技術者の多くが第1線を離れ、技術的な空洞化が顕著となっている。1F事故に関する調査委員会の報告書の課題の中でも、ソースタームの評価の重要性とFP挙動に係わる研究、技術者の育成の重要性が指摘されている[8-1]。日本原子力学会「水化学」部会では、1F事故の反省のもと、FP挙動に係わる研究の復活とそれを支える人材の確保、育成が必須との認識に立って、FP 化学リバイバルの戦略を練っている。このためには、戦略的な方策が必須で、少しでも体系立って、FP 化学に取り組める体制作りとそれをバックアップできる組織作りを行い、系統的、組織的な対応を目指している。

(2) 事故時対応の水化学技術の分類
_事故時対応の水化学は、大きく 4つに大別される(表 8-1)。すなわち、
①事故が発生した場合を想定し、事故の拡大を抑制するためになさねばならない対処を準備するための水化学
②実際に事故が発生した場合に、発電所内外で対処しなければならない課題への対応に係わる水化学(事故が収束するまでの比較的短期間の課題への対応)
③実際に事故が発生した発電所の廃炉において対処しなければならない課題への対応に係わる水化学(廃炉完了に至るまでの長期間の対応)
④上記①~③の基礎・基盤となるFP挙動に係わる水化学

_上記①と②は、実際の対応か、想定した準備かの大きな差異はあるものの、現象論的には同じものと考えることができる。本ロードマップでの基本的な目標である「安全を大前提に、Energy security、Economic efficiency、Environment の3E達成可能な重要電源として原子力発電を継続的利用すること」に水化学から貢献することを考えると、従来の深層防護レベル3までの対応に、新たに深層防護レベル4を加えて、事故時を念頭に水化学の課題を再整理し、課題を摘出し、各課題の重要度に応じて、R&D 計画、その実施担当、資金確保の戦略を明確にすることが必須で、産官学で、その戦略を共有することは不可欠である。
_上記③は、福島第一原子力発電所で実際に直面している課題で、現実の課題ではあるが、未経験、未知の状況も多く、原子炉格納容器の外部から内部の状況を推察しつつ、適切な廃炉手法を模索し、計画を立案して、一歩ずつ実施している。主要な技術課題とその対応、及びその技術課題解決のためのロードマップは、8.3節の事故炉の廃炉推進対応の水化学で議論する。最大の眼目は、FPの存在下、如何に効率的に廃炉作業を進めるか、廃炉作業の妨げとなる作業者の体内・体外被ばくを如何に抑制するか、発電所周辺へのFPの飛散をどう抑制するか、そして廃炉に伴って発生する放射性廃棄物を如何に効率的に集約し、長期に安定に保管するかといった、全てFPに係わる課題で占められる。このため、FPの挙動は、8.1節の水化学が関与する事故時対策の基礎基盤技術のみでなく、8.2節の事故炉の廃炉推進対応の水化学の基礎基盤技術としても位置付けられる。

参考文献

[8-1] 日本原子力学会, 東京電力福島第一原子力発電所事故に関する調査委員会, 福島第一原子力発電所事故その全貌と明日に向けた提言-学会事故調最終報告書-, 2014年3月11日, 丸善出版, p.98-105, ISBN978-4-621-08743-5 (2014).